生まれる前と胎内では、世界はひとつ。そして僕は、まだ生まれていなかった。WEB版

赤い翼は天に舞い、青い空を泳ぐ。

それは「セフィロトの種」と呼ばれた、生命の樹の果実から採れる一粒の「遺産」から始まった。

セフィロトはエデンに生えていた、神に等しき永遠の命を得る果実を結実させる樹である。
現在は種のみが一粒保管されていたが、極秘の保管場所に敵が襲撃し、目下特殊工作員「スプリガン」の御神苗優と今回の相棒、ジャン・ジャックモンドが交戦中である。
そして種は今、御神苗優の手の中にある。
それは小さく干からびていて、これをめぐって多くの血が流されたようにはとても見えなかった。

なぜこの保管所からアーカムの手にわたらなかったかというと、この種がこの地「クリフォト」から動こうとしなかったのである。
「クリフォト」は「セフィロト」と逆位置にあると言われ、悪魔の樹とも呼ばれている。
太古の昔、ここには「クリフォト」が生えていたという伝説がある。今ではこの地自体が「クリフォト」と呼ばれていた。
「クリフォト」の保管所に同じく収められている石版にはこうある。

『神に背く者に渡らんとする時は、砕き飲み干せ』と。

「クリフォト」にあった、石版の内容である。一概に信じることはできなかった。
もしこれが「神の啓示」ではなく「悪魔の囁き」であったなら?

だが現在の戦況は一向に好転していない。
むしろじりじりと二人を含むアーカムのチームは追い詰められていた。
できるうる限りメンバーを減らすことなく帰還したいと焦った御神苗は隣の隊員の頭がふっとばされた瞬間、種を口に放り込んだ。

がりりっという噛み砕く音。
ジャンは御神苗の肩をつかんだ。
「バカ!! おめえなにやって……!!」

コオーン……。
遠くで純度の高い石がぶつかる音がした。
それを合図にしたかのように、クリフォト保管所の内部が一斉に崩れ始めた。
クリフォト保管所は黒曜石にも似た巨石を積み上げてできていたのを、崩れることによって御神苗たちは初めて知った。

「退避ー!! 退避ー!!」
敵味方どちらともなく叫ぶのが聞こえた。
その場にいた全員が夢中で逃げる。
そこから先はよく覚えていない。

目が覚めると褪せた色の天井が見えた。
体が熱い、と御神苗は思った。特に下腹が燃えるように熱かった。
「ああ、わかってる。種は……そうだ、消失したってコトで。頼むわ。……御神苗は……大丈夫だ。また連絡する」
ジャンが誰かと連絡をとっているのが聞こえる。
所長の山本さんだろうか。

ギィ……
ジャンがそっと部屋に入ってきた。
「……ジャン……」
御神苗は自分のかすれた声に驚いた。喉が乾ききっている。
「なんだ、目ェ覚めてたのか」
ジャンは水差しからコップに水を注いだ。ベッドに腰掛けると御神苗の背中を支えながら起こす。
「とんでもねえことやってくれたなァ」
御神苗にコップを渡しながらあきれたように言った。
「アレは早計すぎたぜ。わかってんのか?」
ジャンの責める声を聞きながら飲む水は冷たかった。

「まあ、味方の犠牲は抑えられたけどよ。クリフォトの石版に従うなんざ、死んじまったらどーすんだ」
ジャンの手が額に当てられる。冷たい。いや、自分の体が熱いのか。
「下がらねえっぽいな。あんまりヤバかったらアーカムに連れてくしかねえんだが」
ジャンがぶつぶつとつぶやいた。
「?。ジャン……ここはどこだ?」
御神苗のぼんやりした言葉にジャンはため息をついた。
「ここはオレの部屋、だ。おまえあのままアーカム本部に連れてかれたら体が裏返るまで調べ尽くされてたぞ。
種とはいえ、セフィロトの加護を飲み込んじまったんだからよ」
「……おまえの部屋……種……」
熱でまとまらない思考をぼんやりと御神苗はめぐらせた。
「……オマエ、ホントに大丈夫か?」
ジャンが御神苗を覗き込む。
熱で御神苗の体から甘い梨とライムのような体臭が強くなっていた。まだ性が定まらない少年特有の匂い。ジャンはこの匂いが苦手だ。嫌い、というより好ましく思ってしまう自分に嫌悪してしまうのだ。この少年に情欲に近いものを感じてしまう。それはジャンの倫理観に反していた。

「ジャ~ン~? アンタのイイコ、だいじょうぶゥ~?」
突然娼館の娼婦たちが入ってきた。ジャンが飛び退くように離れる。
「あ~らら、お邪魔だったカシラ」
きつい化粧の匂い。今はこの匂いのほうがジャンにはありがたかった。御神苗の甘い匂いをわからなくしてくれる。
「着替え持ってきたわよ」
「からだ拭いてあげる」
「あらら、ずいぶんカワイイおじょうさんね」
御神苗はあっというまに女達にかこまれた。
いつもなら女性慣れしていない御神苗はこんなふうに女達にいじられたら慌てふためくだろうが、熱で思考が定まらないせいか、やられ放題である。シャツを脱がされ体をべたべたとさわられてもぼんやりと他人事のように見ていた。

女達の手が下半身に向かった時、流石に抵抗があったのか
「俺……大丈夫ですから……」
御神苗がやんわりと女達の輪を抜けゆっくり立ち上がる。

びしゃ……。
液体が床に落ちた。
「あっ」
それは御神苗の股から流れ出ている。
「やだっ気にしないで!」
女達が拭き始めた。
「す、すみません」御神苗は慌ててシャワールームに駆け込んだ。
「気にすんなって……オレの部屋だぞ」
ジャンが不満そうに言う。
「あの年頃の子が漏らしたら傷つくに決まってんでしょ。相手は病人なのよ。病人」気の利かない二十五歳児に軽く肘鉄を食らわす。
「いいから、あの子に声掛けといで。いい? 優しくよ?」
納得のできないままジャンはしぶしぶとシャワールームに入っていった。

「ねえ、これ……」
女の一人が布に染みた液体の不可思議さに気づいた。白い布には血が混じった液が染み込んでいる。そしてこの匂い。
「これって、羊水……?」

ざあああ……。
シャワーカーテンの向こうから湯の流れる音がする。
「大丈夫かあ~御神苗~」こたえはない。
「まあ、気にすんなよ。オレだって飲みすぎた日にションベン漏らしたことだってあるしよ」
我ながら最低なセリフである。
御神苗からの返事はない。やはり傷ついているのかもしれない。
「まあ、なんだその……」
ジャンの足元に濡れた布の感触があった。御神苗が慌てて脱いだ下着である。やれやれとつまみ上げると染み付いていたのは尿ではなく血の混じったなにか。ジャンはぎょっとしてシャワーカーテンを開いた。
「大丈夫か!?優!!」
御神苗は全裸で立ち尽くしている。股からはあの、血の混じった液体が流れ出て、シャワーの湯とともに排水口に流れ込んでゆく。
「……ジャン……」
血の匂いとともにあの甘い匂いが立ち上っていた。

自分に呼びかけてすぐに御神苗は倒れ込んでしまった。ジャンはすんでのところで御神苗を抱きとめる。
(どういうことだ!?病気か!?やっぱりあの種が毒だったんじゃないか?!)
シャワーの流れるままに湯船の中で寝かせると御神苗の下半身を見た。出血元を確認しなくては。
医者に見せたいが、セフィロトの種を食ったなんてどうやって説明する?ジャンのあまりよろしくない頭の中はパンク寸前だ。
少年らしいペニスからは液体は出ていなかった。後ろからの下血だろうか?より深く足を開く。
すぐに出血元はわかった。
「……神の子……」
ジャンは思わずつぶやいた。

御神苗はベッドで眠っている。あの液体は止まっていた。隣の部屋で女達はジャンに小声で問い詰めた。
「あの子、『神の子』じゃない。教えてくれれば私達だって……」
「オレだって知らなかったよ。フツー仲間の下半身事情なんて把握してるか?」

「神の子」、とはフランスでは両性具有者をあらわす。御神苗のペニスの下には睾丸の代わりに小さなヴァギナがついていた。

「どうすんのよ」
女達が睨めつける。
「どうって、どうもしねえよ」
言いたいことがわからないジャンはそう答えた。
「……あの子にヘンなことしないでよね。やったらアンタのチンポ、バチがあたって腐り落ちるわよ」
女達の言いたいことがわかった。
「しねーよ!! バカ!!」
思わず大声を出したジャンに女の一人が軽く頭を叩く。
「とにかく、優しく、丁寧にあつかうのよ」
「……わかったよ」

娼婦は信心深いことが多い。
特に聖母主義者、キリストよりもキリストを産んだ聖母を偉大なる存在としていた。
男に日々組み敷かれる自分たちへのなぐさめからきているのかもしれない。

女達が出ていったあと、部屋は静かになり、照明が柔らかく照らしている。
もう夜だ。ジャンは椅子に腰掛け、壁の聖母像を見ていた。
「……ジャン?……」
まだ熱のある御神苗が目が覚めたのか心細そうに呼びかける。
「……ここにいる」
御神苗に近づくとベッドに再び腰掛け手を握った。訊きたいことはあるが今は寝かせるのが一番だ。
ジャンが近くにいたことで安心したのか御神苗は再び眠りについた。
「『神の子』……かよ」
まだ信じられないというふうにジャンはつぶやいた。

「そんな記録はないな」所長の山本が御神苗優の身体的記録をすべてあらった後での結論だった。
「ハァ??」
ジャンが座り心地のいい長椅子にどっかりと腰掛け片眉を上げた。
「日本くんだりまで来てそれだけかよ!」
「仕方ないだろう!これは事実だ!……それともまさか消失したという種……」
山本には隠しておけない。
「しょーがないだろ! 御神苗が食っちまったんだから!」
ジャンの開き直りに山本は頭を抱えた。
「まさか『クリフォト』の誘いにのるとは……」
「……あの石版、やっぱり……」
ジャンが真剣な表情になる。
「それはわからん。『クリフォト』がなにを望んでいたのかも。ただこれは私の想像だが、優の体におきていることは説明がつかんでもない」
山本が険しい顔で言った。
「我々は遠い過去、知恵の実を食べることで楽園を追放された。
楽園の西方には生命の樹の実もあったがそれを口にしなかったことで神に等しい存在になることは免れた」
山本は「なれなかった」ではなく「免れた」と言った。
「神は最初、己に似せた人間を一人作った。それは完璧で、他を必要としなかった。
アダムカドモン、源の人間ということもある。
だがアダムカドモンは2つに分けられアダムとイヴとなった。その時、神性は失われ源人間は人間となった。
……おそらく優は……」
「アダムカドモンになっちまったっていうのかよ?!」
ジャンが掴みかからんばかりの勢いで声を上げた。
「わからん。わからんことだらけだ。生命の実を食べたのならそうだろう。
だが口にしたのは種だ。それが幸運となるか、より恐ろしいことになるかは……」
重い空気が流れる。
「御神苗がアダムカドモンどころかカミサマになっちまったら」
「奪い合いになるか協定が組まれるか、優自身が神の遺産となるだろうな」

フランスの自室にジャンが戻ると御神苗が起き上がっていた。
誰かの差し入れか、林檎をかじっている。
(禁断の果実か……笑えねえな…
…)
ジャンの視線に御神苗は林檎を差し出した。
「食べるか?」
歯並びのいいかじり跡が絵画のようだ。
「なんでオマエの食いかけなんだよ」ジャンは言いながらベッドの端に座ると御神苗のかじった部分の上から食べる。
「食うんじゃんかよ」
御神苗は笑った。
御神苗とジャンは一つの林檎を交互に分け合った。残った芯を雑にゴミ箱へ投げ入れる。
御神苗の形の良い額に手を当てると熱はだいぶ引いていた。
「もう大丈夫だ。ありがとよ」
礼を言う御神苗はたしかに具合は良さそうだが、連日の熱で少しやつれていた。
(コイツをかかえてどこまで逃げ切れるだろう)ジャンはそんなことばかり考えてしまう。
「俺の体のこと…」
無言で見つめるジャンのかわりに御神苗からきりだした。
「どうだった?」
御神苗が訊いているのは山本からの答えだろう。
「……オマエがカミサマになるかもしんねえって」
あまりのざっくりしたジャンの返答に御神苗は「雑だなあ」と笑う。そして「まあ、そうなったらしょうがねえよな」と頭をかいた。
「いいのかよ。それで」
ジャンは言いたいことを抑えて訊いた。一番不安なのは御神苗なのだ。自分が急いても仕方がない。
「よくねえけど、いいんだ」
色々な思いが詰まった一言だった。この十七歳の少年の双肩には様々な問題がのってゆく一方だ。ジャンは思わず御神苗を抱きしめた。
「……おい」
抗議しようとする御神苗に「いいから黙ってろ」と制止した。
汗の匂いと甘い匂いが混じり合ってジャンの鼻腔をくすぐる。
「オマエとどこまでも逃げてやる」
ジャンはよりいっそう強く御神苗を抱きしめる。御神苗は拒絶しない。ただ一言「痛えよ」とつぶやいた。

夜になると再び御神苗の熱が上がりはじめた。新しいタオルでジャンが体を拭く。
「……自分で……」
「おとなしく世話されてろ」
弱々しく抵抗していた御神苗も気持ちが良いのかされるがままにまかせていた。
「ジャン……」
熱にうかされた御神苗が呼ぶ。
「熱い……」
甘い匂いが強くなる。少年の甘い匂い。
「?」
だがいつもの匂いの中に違う匂いが混じっていることをライカンスロープの嗅覚が教えている。桃のようなミルクのような、雌のとろけるような匂い。
「……おまえ……」
言いかけたジャンの言葉をさえぎって御神苗がしがみついてきた。
「ジャン……熱い……たすけて……」
御神苗の囁きにジャンの全身の毛が逆立った。雄としての欲望が急激にせり上がってくる。これは異常だと抑え込もうとする自分と、御神苗を思う様貪り尽くしてしまいたい自分とが体の奥で殺し合っている。
「おねがいだから……」
御神苗が体を擦り付けてくる。自身でもなにをやっているのかわかってないのかもしれない。
「しらねーぞ……」
ジャンが噛みつくように御神苗の形の良い唇を塞いだ。
御神苗の行儀よく並んだ歯を舌でなぞって口を開けるよう促す。怯えるように開かれるとジャンの長い舌が御神苗の熱い舌を追いかけ絡ませる。ちゅくちゅくという甘い唾液の音。
「……ん……ふ…う…」
呼吸の仕方も知らない御神苗のあまったるい息をする音。すべてがジャンの獣を誘っている。
「おまえ、初めてじゃないのか?」
御神苗の身を捩る姿も匂いもあまりにもいやらしく、ジャンは困惑し、これを教え込んだかもしれない見えない誰かに嫉妬した。
「やめない…でくれ…よぉ…」
御神苗はジャンの手を取ると自分の肌に触れさせる。まだ幼い肌はなめらかで、象牙を思わせた。すでに尖りきっている乳首を優しくつねると御神苗の体が跳ねた。嫉妬と愛おしさでその小さな突起を歯と舌でこねる。
「んっ…んっ…」
小さくあえぐ姿は処女のようでもあるが慣れた娼婦のようでもある。多くの女を抱いてきたジャンにも判別がつかない。
この愛らしい少年に翻弄され、うながされるまま貪っている。

きめ細かな肌に舌を這わせながらゆっくりと下腹におりてゆく。下着を下ろすと少年のペニスがすでに勃ち上がっていた。
まだ先端を半分覆っている皮を唇で剥きながら口に含む。
「あっあっ」
御神苗の腰が自然と前後に揺れる。
自分の舌が御神苗を支配しているのだという実感が楽しくてわざとゆるやかにねっとりと舐め回した。
「うんんっ…んっ」
イきそうでイけないのか耐えているのか、唇を噛んで腰を振っている。その姿がとても可愛いと思う。今、御神苗が感じているのは自分だけなのだ。
先端の割れ目から薄い蜜があふれてくる。それを舌先でなぞりながら、幹の部分を手でこすってやる。
「あーっ!」
あまりにもあっけなく精を吐き出した。とろりとした蜜は味も薄く、もしかすると御神苗は自分で慰めることすらしないのかもしれない。
無意味に嫉妬してしまったことを申し訳なく思ったが、ならば御神苗のこの濃厚な雌の匂いはどういうことなのだろう?
ジャンはそのまま舌をペニスの下に息づくヴァギナに這わせた。そこはあまりにも可憐で、とろとろと蜜を滴らせてはいるが、とても自分を受け入れられるようには思えない。ゆっくりと中指を押し込んでみた。
「あっ! 痛っ…」
御神苗が声を上げる。
処女膜に縁取られたそこはとても狭い。大きさに比べて愛液の量が多いせいで指を奥に進められるが、痛みなしには挿入は難しいようだった。
指を引き抜くと処女膜が少し裂けたのか愛液に血が混ざっている。その指を御神苗に見せる。
「オレはおまえに入りたい。けど、この指よりずっと苦しいぞ。それでもいいか?」
ジャンの指と顔をみつめたあと、御神苗はぎゅっと目をつむり、うなづいた。その姿は、ジャンの嗜虐心を煽り、ジャンのペニスを硬くさせた。
勇ましい少年であり、可憐な少女である二面性。これが両性具有ということなのだろうか。

ジャンはペニスを御神苗の少女の部分にあてがうと、ゆっくりと押し入った。プチプチと膜が弾ける感触がある。
「い、痛っ! やめ…!」
御神苗が痛みのあまりに涙を流して身を捩ったが強引に腰をつかんで潜り込む。熱くて狭い肉、裂ける膜の感触。すべてがジャンの獣を刺激した。
御神苗の流れる涙を舐め取る。
「すっごくイイぜ…優…」
本当に気持ちがいい。腰がとろけそうだ。気づくと夢中で腰を打ち付けていた。
「ひぎっ! ぎっ!」
歯を食いしばって耐えている御神苗の愛しい顔。熱い肉の締め付ける感触。愛液と血の匂い。
こんなにもセックスが気持ちいいことを初めて知った。果たしてこれはセックスなのだろうか。一方的に御神苗優を食い荒らしているのではないか。それでもいい。それでいい。
ジャンは御神苗の中に何度も射精した。だが一向にペニスは萎えない。ならばこのまま御神苗の体を壊れるまで、壊しても犯しつくせばいい。オレだけのモノにすればいい。

どれくらいの間、抽挿を繰り返しただろう。気づくと御神苗は気絶していた。結合部は血まみれだ。
ジャンはペニスを引き抜いた。ひどい後悔と吐き気が襲ってきた。正気ではない。自分のしたことに頭の中が真っ赤に染まる。
ジャンは血に染まった性器を見ながら凄まじい悪意を感じた。そうか、これが「クリフォト」の狙いか。

神の名を餌に神聖な者を選び出し、神にまで高め、犯し、汚し、堕とす。
選ばれたのは御神苗優、そして反転として選ばれていたのは自分。
まさに「セフィロト」と「クリフォト」の体現。

「……ジャ…ン…」
御神苗が切れ切れに名を呼ぶ。
ジャンは御神苗を抱きしめて泣いた。
「優、優」御神苗の名をすがるように呼ぶ。
御神苗の手がジャンの頬を優しくなでた。

御神苗が治療と検査のためアーカム本部に収容されて数ヶ月がたった。
身体的に回復は良好だったが問題は匂いだった。波長の関係か、嗅覚が優れた者だったのか、御神苗に異常に反応してしまう者が何名も出てしまうのだ。まさに御神苗優はセフィロトの果実そのものになってしまっていた。
セフィロトに関連する聖遺物を身につけることによって匂いは抑えられることがわかったが完全ではない。

神の果実は人間に扱えるものではない。
永遠の生命の源。源人間、アダムカドモン。
いずれ、扱える時がくるのであろうか?

「ジャン」
条件付きで自由になった御神苗がかりそめの対の名を呼ぶ。目的の遺跡までヘリがつくにはまだ時間がある。
「ん」
ジャンがポケットから小さな林檎を渡す。御神苗はそれをかりりと噛んだ。

天から堕ちてくるものは

潜伏キリシタンの書に、知恵の実を食べたあだん(アダム)と生命の実を食べたじゅすへる(ルシファー)の記述がある。
青森県には戸来村という地でキリストが生きていたという伝承もある。
極秘だが東北のある地にセフィロトの痕跡を発見したとして御神苗優は東京からその地へ向かっていた。

今回の相棒もジャン・ジャックモンドである。ジャンは東北新幹線に乗っている間も始終機嫌が悪かった。
とある件で御神苗優はセフィロトの加護を受け、その身自体が「セフィロトの果実」と化してしまっているのである。今回の現場が本当に生命の樹の在り処であるならこんな危険なことはない。御神苗優を外すようアーカムに直談判したが「今回の任務に適任」だとして聞き入れてもらえなかった。セフィロトの痕跡が本物であるなら必ず御神苗優と共鳴するであろうとふんでいるのが見え見えだ。しかしそれが起こってしまったあと御神苗がどうなってしまうのか、誰が責任をとってくれるというのか。

ジャンは駅で買った小瓶のウイスキーを煽った。隣ではついでに買ってやったアイスクリームと御神苗が格闘中である。
「硬ってえ~。どうやって食うんだこのアイス」たどり着くまでに食えっかな、などとぶつぶつ言っている。その姿はまだ十七歳の少年であり、とても生命の実そのものには見えなかった。ジャンはその切なさに御神苗の頭を乱暴になでる。
「?? なんだよ?」
茶々を入れられたのかと御神苗がむくれた。
「なんでもねーよ」と言いながらジャンは目を閉じた。
とにかくなにがあっても御神苗を無事連れて帰る。ジャンはそう硬い決心をしながら短い眠りについた。

「ようこそいらっしゃいました」現地につくと、じしうす(イエス)の血族であると自称している神主の老人が迎えてくれた。
「ここいらの天狗どもが今日は騒がしく、あなたが来てくださることを一族皆心待ちにしておったんですよ」
「天狗、ですか」
車に乗って山道を揺られながらざっと目を通した潜伏キリシタンの書物のことを思い出していた。
天狗、とは天使、あるいは堕天使のことをあらわす。老人がどういう意味でその言葉を口にしたのか。そういえば御神苗はここについてからずっと視線のようなものを複数感じ取っていたがそのことだろうか。

そうこうしているうちに車は古びた屋敷にたどり着いた。
「まあまあ。よくいらっしゃいました」
人の良さそうな老女が出てくる。老人の妻であろうか。
その後ろからわらわらと人々が出てきた。
「……こんにちは」
御神苗はやっとそれだけ言った。
皆顔つきがよく似ている。似ている以上だ。特徴から強い近親婚であることがうかがえた。
ジャンは一言も発しない。黙って様子を伺っている。

きぃいいいん……。
突然高い音が響き渡る。
「あるかんじょ様だ」人々がざわついた。
「あるかんじょ様のお声。まさしくあなたさまはあだんの源!」
奥から一人が厳かに包みを御神苗に捧げた。それは聖骸布。御神苗は包みを開く。
一振りの短剣が輝いていた。
刀身はルビーのごとく燃えるように赤く透明で、柄は銀に様々な天使の意匠が打ち込まれていた。
「アークエンジェルの剣……」その見事な造りに御神苗は呟く。
あるかんじょ、アークエンジェル。神の命により生命の樹を外敵から守ったという燃える剣。
皆、ありがたいありがたいと御神苗に拝んでいる。
「これ、借りてもいいですか」という御神苗に老人はとんでもない、と言った。
「それはもとよりあなた様のものです」

剣をバックパックにしまうと、アーカムのチームの合流地点の近くまで車に再び乗せていってもらった。
老人に、一緒に来ないのかと誘うと、わたしらは穢れておりますんでと遠慮され、もと来た道を帰っていった。

「優!」
メンバーの中の研究員の一人が声をかけた。
御神苗はすぐさま先程の短剣を取り出す。
「あのじーさんめ。我々が来たときには何も持ってないといったくせに」
彼は苦々しい顔をした。
研究員が聖骸布から短剣に手を伸ばす。

ごうっ!
短剣が燃えた。
いや短剣が燃えたのではない。短剣の刃から炎が発されたのだ。燃え盛る剣に吸い込まれるように御神苗が触れる。
「御神苗!」
ジャンが驚いて叫んだが御神苗の手は燃えてはいない。まるで暴れる獣が大人しくなるように剣の炎は御神苗に触れられておさまっていった。
「あだんの源……アダムカドモン」
先程の人々の言葉を思い出していた。

ふう、と研究員は息をつくと「それは優が持っていてくれ」と言い「こっちへ」と案内される。
そこは一見山のようであるが、入り口らしきものがある。
武装した何名かに合図を送り、開けてもらうと一度見たことのある壁面。
「『クリフォト』保管所……」
そこは「クリフォト」保管所で見た巨大な黒曜石に似た石が積まれてできていた。
「そっくりだろう」
研究員はにやりとした。
「おそらくここが対となる『セフィロト』への入り口だよ」

御神苗が一歩踏み入る。キン、キン、キン、と順に明かりが灯るように古代ヘブライ語が壁面に光っていった。
「これは……」
研究員が目を見張る。
「あるかんじょの剣、そして優、君というセフィロトの果実に共鳴してるのか」

古代ヘブライ語が発する光で奥までぼうっと光っている。
御神苗がもう一歩踏み入ろうとすると、今まで見守っていたジャンが御神苗の肩をつかんだ。
「もういいだろ! これ以上は!」
御神苗と研究員はぽかんとしてジャンをみた。
「オレはおまえらみてえなロマンバカじゃねえ。どう見たってこいつはヤバイだろ! 『クリフォト』ンときと全く同じ、いやそれ以上のシロモンだ! これはオレが封じる。御神苗にはもうかかわらせるな!」
ジャンの中の「クリフォト」がざわめいている。ジャンもかりそめではあるが「クリフォト」に選ばれし者だ。「クリフォト」がジャンの中にある獣を呼び覚まさせようとしている。「クリフォト」が一つの意志であるならハラは見えている。それは「セフィロト」との完全なる同化。
「わかってんじゃねえのか御神苗!」
ジャンは御神苗を睨みつけた。
御神苗は静かに答えた。
「……『クリフォト』は『セフィロト』を芽吹かせるつもりだ」
「それがわかってんならなあ!」
「俺は、それでも、その先が見たい」
御神苗の言葉は御神苗の意思なのか、「セフィロト」の共鳴によるものなのか判断はつかない。
御神苗はジャンを振り切って奥へと進んでゆく。

通路を抜けると大広間に出た。そこには祭壇があり黒い壁面を様々な文様が照らしていた。
暗視カメラのゴーグルを外しながらそこにいた研究員たちがやってくる。
「ここはどんな光も受け入れずこうでもしないとほぼ何も見えなかったんですよ。ようこそ御神苗優。あなたがここを呼び覚ましたのですね」
「ここは一体……?」
あまりの荘厳さに御神苗は戸惑っていた。
「わかりません。われわれもこの状態は初めて見ましたし。しかし祭壇があるということはなにかの儀式をおこなうところであることは間違いないでしょうね」
「優。祭壇の上に描かれている図柄がなにかわかるか」研究員が指をさす。そこには奇妙な枝と根を伸ばした樹木が描かれていた。
「『セフィロト』……」
御神苗がつぶやく。
「そうだ。おそらくあそこが『セフィロト』となんらかのつながりを指し示しているに違いない」

「うっ!」
急に御神苗が頭を押さえた。ヘッドギアが弾け、額が光り輝いている。
「……ケテル……王冠……?」
研究員が目をかばいながら額の文字を読み上げる。
次にスーツの胸の部分が弾け、胸にティフェレト、首にダアトの文字…。「セフィロト」を具現する十のセフィラの文字。
御神苗がゆっくり祭壇に向かって歩きはじめた。
「御神苗!」
ジャンが御神苗の前に回り込んだ。
「!」
御神苗から強くあの甘い匂いがする。おそらく先程、スーツとともに身につけていた聖遺物がふっとび抑え込まれていた御神苗の生命の果実の香りが溢れ出したのだ。
「……おまえはわたしをくらうものか……?」
御神苗がジャンを見る。御神苗の鳶色の瞳が金色に輝いていた。
スーツの両肩が弾ける。そこにも黄金の文字が刻まれている。
「……かみになりたいか……?」
御神苗が言いながら祭壇までの階段を一歩ずつ歩む。

ふいに研究員たちが苦しみだした。めきめきと音をたてて背中から巨大な鳥のような翼が飛び出す。顔面がずるりと剥ける。目も鼻も口もない顔。そして一斉にそれらが飛び立ち、広間の天井ぎりぎりをぐるぐると回りはじめた。
なんとおぞましい光景だろう。これが神聖なる場であるとしたら、地獄とは一体どのような場所になるのか。ジャンは昔読んだ聖書の挿絵を思い出していた。

御神苗が祭壇に横になる。身につけているものはすべて弾け飛び、全裸であった。肌には黄金の文字が光っている。
「じかんだ」
御神苗の声を合図に、落ちていた聖骸布の中の短剣がふわりと浮き上がった。

今や生命の源と化した御神苗優、「セフィロト」の刻印、使徒の祝福、燃える炎の剣。すべてがそろった。他に足りないものがあるとすればそれは……。
ジャンは走り出す。炎の剣は御神苗の上空に浮かんでいる。天使たちのきいいんきいいんという禍々しい歌声。
剣は刃を下に向け、御神苗の胸、美しい魂の在処に向かっておりてゆく。
御神苗は今、その身を捨て、宇宙の真理、神と同じものになろうとしている。
その赤い刃が胸を突く瞬間、肉の焼ける音と匂いがした。
じゅうううう……。
すんでのところでジャンが剣の柄をつかんでいた。「クリフォト」の加護がなければ焼き尽くされていたであろう。一時的とはいえ対となった身がジャンを炎から守っていた。
「ハッ! ミエミエだぜ! 『セフィロト』さんよ! 欲しいのはこんなショットじゃねえだろ!!」
ジャンは御神苗に馬乗りになると右手を焼かれながら左手で自分の服の胸のあたりを思い切り破いた。
「今からオレが熱いのをたっぷりブッこんでやるよ!!」
ジャンがニヤリと笑う。御神苗は無表情のままその金色の瞳でジャンの行動を見つめる。
「おキレイな『セフィロト』さんにゃ足りなかったんだろ! だからオレを呼んだ! だからオレを残した! 穢れたオレが、『クリフォト』が必要だからだ!」
ジャンは無表情な御神苗を見つめる。
焼ける右手の痛みに構わず、ジャンは短剣をジャン自身の胸に突き立てた。
ボトボト……と大量の血が御神苗の胸に落ちてゆく。
「……カミサマなんかになるんじゃねえよ優……」
御神苗の体の文字がゆっくりと消えてゆく。
天使たちが金切り声を上げ、地に落ちながらとけてゆく。「クリフォト」の血による「セフィロト」の汚染。神聖の終わり。
「……いいか、優。カミサマになりそうだったらいつだってオレが汚してやるからよ……。だから…安心し…て……」
最後まで言う前にジャンが御神苗の体に倒れ込む。
この「セフィロト」の神域ではジャンは獣人化できない。あたたかい血液が御神苗の体の上に広がってゆく。
御神苗の瞳が金色から鳶色へと戻ってゆく。
自分の体の上に触れる。血がべっとりと手のひらを染め上げる。血とともにジャンの魂も流れ出てゆくのを感じる。
「う…あ…」
御神苗の心が魂が人に引き戻される。与えられるのは神の歓喜ではなく絶望。
「うわああああああああああッ!!!!」
御神苗の絶叫。
失いたくないものを失ってしまう。また繰り返してしまう。やめろやめろやめろやめろやめろ!!
御神苗の穢された魂に反応してか聖堂が崩れ始める。崩れてゆく天井を眺めながら御神苗はジャンを抱きしめ、目を閉じた。
(このまま一緒にゆこう……)そう思いながら。

耳元で大声がする。知らない男の声だ。
「……か…聞こえ…か…聞こえますか!」
あまりのやかましさにジャンは怒鳴った。
「うるせえ!!」
目を開くとベッドの上にいた。ライトが眩しい。
白衣の男が飛び起きたジャンをなだめるように説明する。
「ここはアーカムの療養施設です。あなたは『セフィロト』跡で倒れてたんですよ。おぼえていますか」
「『セフィロト』……」記憶をぐるりと巡らす。
着ていた入院服の胸元を見るとあれは夢だったのかと言わんばかりに傷ひとつない。
「御神苗は!?御神苗優はどうした?!」
ジャンは白衣の男につかみかかった。
「お、落ち着いてください。ご案内します」
案内された病室は完全無菌室の一室。ガラス壁から中を一望できる。広い室内のベッドの上に座っている御神苗はガラスの向こうのジャンに気づくと小さく手を振った。
「彼にはこれから様々な実験に協力していただきます」
白衣の男が言った。
「今回の日本の『セフィロト』消失後に世界中から新たなる『セフィロト』の痕跡が出現しました。彼に行ってもらうのは共鳴、あるいは『セフィロト』の封印」
「発芽、の間違いじゃないのか?」
ジャンはせせら笑う。
共鳴したが最後、今回のようなパターンからは逃れられまい。発芽するか、あるいは……。どちらにせよ御神苗の精神と肉体はいずれ神の領域に達してしまうだろう。
皆が御神苗優の「奇跡」を望んでいる。
楽園で手にできなかった果実を大量に手中に収めんとしている。
これはかつての、アダムとイヴが手にできなかった頃からの渇望なのか? そんなにまでして人は還りたいのか? 還る。どこへ? どこまで? 皆、そんなにも不安なのか?

ジャンは服を着替えると、御神苗との面会まで中庭のベンチでぼんやりと座っていた。人工の庭園は明るく穏やかで、白々しかった。
「よっ」
声をかけられて顔をあげると入院着に上着を羽織った御神苗が立っていた。
「隣、いいか」
答えを特に待つつもりもなく御神苗はジャンの隣に腰掛けた。
「……協力するのか……」
ジャンがつぶやく。
「……まあ、一応、ほっとけないだろ……」
御神苗の言葉にジャンが御神苗の肩をつかむ。
「そんなのは!」
「放っておけっていうのか?」
御神苗が肩をつかんでいるジャンの手に触れると少し笑った。
「一応アーカムの一員だからなあ」
「スプリガン」だとは言わなかった。これはもう特殊工作員の仕事を超越している。御神苗もわかっているのだ。
ジャンは御神苗を強引に抱き寄せる。
「逃げればいい。オレと」
御神苗の体から甘い例の匂いがする。それは、どこへ逃げても無駄だという証明に他ならなかった。
「……逃げちまおうか……」
御神苗がぽそりと言った。
「なーんてな」
御神苗がやんわりとジャンの胸を押した。
「そんな無責任なことしちゃダメなんだ」
一人の少年が抱えていい問題ではない。だがまたも御神苗は黙って耐えている。

「……奇跡を見たか?」
御神苗がじっとジャンを見つめた。
「……なんだって?」
言葉の意味がわからずジャンが問う。
「俺は見たよ。天空に光の柱がのびてゆくんだ。
血が…おまえの血がおまえの中に戻っていって…。
そして…そして俺は……。あれはなんだったんだろう。大きな……」
御神苗の熱にうかされたようなつぶやきにジャンは胸を押さえた。あの時、短剣で刺した傷は奇跡で塞がれたのだ。夢ではなかったのだ。
ジャンは奇跡に生かされたことに吐き気をおぼえた。
ジャンが失ってきた人々。もうかえらない人々。何度奇跡が起こればいいと思ってきたか。そして何度奇跡にすがろうとする自分に落胆してきたか。
遺産を見るたびに「真の奇跡などない、失ったものはかえらない」という安心感がジャンを支えていたのだ。
そうか、とジャンは思った。皆取り戻したいのだ。どうしようもないなにかを。あきらめきれないのだ。失った人を、ものを、時間を。そうして皆、手を伸ばす。神の果実に。神の奇跡に。神になるために。

ピーッピーッピーッ
甲高い音が二人の時間を引き裂く。
「面会時間おーわりっ」
御神苗が手首に巻かれた腕輪を示す。明るく振る舞っているのが痛々しく切ない。
「……終わってねえよ」
ジャンは立ち上がると問答無用で御神苗を抱え上げた。
「言ったろ、オレと逃げればいいって」
ジャンはそのまま走り出す。
腕輪はおそらく発信機にもなっているはずだ。すぐに異常に気づかれるだろう。だがその前に逃げ切れれば。
「ジャン! やめろ! こんなことでおまえが罰を受ける必要なんてねえ!」
腕の中で暴れる御神苗を見ずに「オマエの意見はきいてねえ」とだけ言った。
御神苗は少し驚いたような呆れたような顔をしたあと、ジャンの首に腕を回した。
どやどやと施設内がやかましくなってくる。思ったよりも気づかれるのが早かったようだ。
近道に武装した職員がいる。ジャンより施設内を把握しているのが面倒だ。ジャンはその脚力で職員を跳ね飛ばし、一直線に出口へ向かう。

ズキンッ!
背中に痛みが走った。何発か食らった、と思った瞬間目の前が歪んだ。
(クソッ! 麻酔銃か!)
このスピードのまま倒れ込んだら御神苗が大怪我をしてしまう。
ジャンはできる限り御神苗を胸の内にかばうように抱え込む。
足がもつれた。限界だ。
瞬間、ばすんっ!!とエアクッションのようなものに突っ込んだ、と思った。
そのままジャンの意識は深く沈んでいった。

麻酔銃で眠らされた後は最悪だった。
窓一つない部屋で(しかしこれはジャンが暴れるからなのではあるが)何本も安定剤を投薬され、一週間ほとんど夢やら現実やらわからない状態にされていたのである。
もちろんその間、御神苗とは一度もあっていない。
アーカムの非武装職員には「姫を抱えてさっそうと連れ去ろうとした王子様」とバカにされ、御神苗の担当医からは「そんな短絡的なことをしなくとも申請すればいつでも会える」と散々叱られた。
それはたしかにそうなのではあるが、ジャンにはその時それが最善であると思えたのだ。
アーカムの人々は優しい。
善人だとも思う。
だがその、もっと根深いところでドロドロとしたニオイを感じ取ってしまうのだ。
皆、遺産を悪用されないよう封印する、という誇り高い理念がある。
しかしそれは神秘を眼前にすれば簡単に崩れ去ってしまう。
御神苗はあの時「それでもその先が見たい」と言った。
結果からして相応の罰を受けなければならなくなってしまったのだが、それでも「見たい」と言ったのだ。
ジャンは御神苗に、アーカムの人々に「危うさ」を感じずにはいられなかった。
そのロマンバカな好奇心を悪用しようとするものはたくさんいる。
一時の神秘を眼前にして「手に入れたい」と思わないものが果たして何人いるのか。
現に御神苗優という生命の果実を狙っているものも少なくない。
御神苗、生命の果実の明確な運用法が発見されれば世界が動くだろう。
今、御神苗が無事なのは「誰もどうにもしようがない」からである。
御神苗自身を食ったところで不老不死になるわけでもない(これは御神苗から提供された血液サンプルを実験動物に与えての結果である)、御神苗のパートナーになるにはクリフォトに選ばれなければならない、選ばれたところでどうなるのかまだ一例も確認されていない。
ただどうしようもないほどの御神苗からの匂いによる誘惑と、ある種の強大なパルスが不定期で確認されている。
人類は、御神苗優という、神からの祝福を持て余していた。

ジャンには記憶がないが御神苗はセフィロトの発芽を目撃している。
御神苗はジャン以外にはこのことを誰にも言っていない、が皆薄々感づいているだろう。
前回東北で発見されたセフィロトの痕跡の跡地からわずかに光輝(ゾーハル)が感知されたのである。
光輝は高度文明の遺産とは違うものから時折検出される謎のエネルギーである。
例えば各地の神々ゆかりの聖品。
その中でも飛び抜けてレアな品にランダムで現れる。
有名な聖杯からは光輝は検出されず聖槍の先端に微量に現れたり、未だ誰もその意図するところがわからない。まさに神のみぞ知る、なのだ。
その光輝と御神苗のパルスが限りなく近い。
そして突如消失してしまった東北のセフィロトの痕跡。残り香のような光輝。
何もなかった、と考えるほうが無理な話であろう。

皆が御神苗の変化を待っている。
それがジャンにはうんざりなのだ。
御神苗にはせめてひとときでも自由に、幸せというものを味わわせてやりたい。
十七歳の少年にそう願うのはおかしいことなのか?

もやもやとした気分のまま、ジャンは再びスプリガンとしての任務についた。
そこは深い森林の奥、打ち捨てられた文明の廃墟を調査する調査団の護衛、であるはずだった。
到着したときにはなにがあったのかそこにいた全員が死んでいた。
調べてみると、いや調べずともわかる。
ここにいた全員で殺し合ったのだ。
「ぎゃあああ!!」
同行していた一人が叫んだ。
それと呼応するように次々と隊員たちが叫び、うめき、苦しんでいる。
「おい! どうした!」
頭を抱えてうめいている一人の肩をジャンがつかむ。
「……よこせ……」
男は呟くとジャックナイフを抜いた。
「剣をよこせえええ!!」
ジャンが飛び退くとおかしくなった男の頭が吹っ飛んだ。
援護ではなかった。
銃をかまえた他の隊員の弾が偶然そいつに当たっただけだ。
皆、ジャンを狙っている。
よこせ、剣をよこせ、何度も何度も繰り返している。
やられたらやり返すしかない。
手持ちの銃の弾が切れるまで撃った。
(剣!? なんのことだ?!)
ジャンは思いつく一つのことを払いのけようとした。
だがどうしても思い浮かんでしまう。
あの、炎の刀身を持つ短剣を。

バシュウッ!!
思い浮かべた途端、ジャンの右手にあの剣がおさまっていた。
しかし刀身は青い。
青い炎をまとった短剣。
それをなぜかジャンは知っている。
天使とともにもう一人、生命の樹を守った者の名を冠するそれ。
「ルシファーの剣……」
名を呼ばれたことを喜ぶように剣は激しく輝いた。

御神苗は自宅としているアーカムの高層ビルの一室で夜景を見ていた。
明日からは学校に行くことを許可されているというのに気が重い。
御神苗は人並み以上の容姿とその秘密のベールに隠されたプライベートのせいでとてもモテる。
だが、このところおそらく例の匂いによって惑わされた者たちがよってきているのも確かだ。
聖遺物は一度も外してはいないが体育などで発汗すると皆の様子がおかしくなる。
なんとなく申し訳なくて、出席日数以上のそういった授業はなるべく避けた。

きらめく光を見ながら御神苗はため息をつく。
いつまでこんな状態が続くのだろう。
もう寝ようと窓から離れようとした途端、バンッ!と外から叩かれた。
血まみれの手。
心霊現象か?!
驚いてかまえたがよく見るとそれは幽霊ではなくよく知った男の手。
「ジャン!!」
慌てて窓を開ける。
「……よお……」
血と泥で汚れきった姿のジャンが倒れ込むように入ってきた。
「他に……思いつかなくて……悪ィ……」
とぎれとぎれにつぶやきながら入ってきたジャンの右手には短剣が握られている。
どこからどうやってここまでたどり着いたのか。
こびりついた血とまとった疲労感から察するに本当にここしか頼るところがなかったのだろう。
「ジャン……とにかくこれを……」
刃物はさすがにまずいと、御神苗はその汚れた短剣に手を伸ばした。
「さわるな!!」
ジャンが叫んで後ろにさがる。
「……ご、ごめん」
軽率だったと御神苗は素直に謝った。
ジャンははっとしたような顔をした後、うなだれた。
「……と、とりあえずシャワー浴びようぜ」
御神苗はシャワールームの扉を開ける。ジャンがよろよろとその中へ入っていった。

熱い湯がジャンにかかる。
血と泥が流れてゆく。
御神苗はジャンの右手からやっと離れた短剣を見つめていた。
意匠は覚えのある天使。だが銀色だったそれは黒く変わり果てていた。
そして刀身。
蒼くサファイアのように輝くそれ。
見た目はたしかに「アークエンジェルの剣」であったが色も、どころかオーラのようなものもなにもかも違っていた。
あの時、東北の「セフィロト」とともに消えてしまっていた「あるかんじょの剣」。
今目の前にあるこの剣と全くの無関係ではないだろう。
御神苗は剣をベッドルームに持ち込むと寝転がり、ルームライトに刀身をかざした。
オレンジの光を通してもそれは蒼いままだ。
「リュクルゴスの杯」のようなものではないのか。
(リュクルゴスの杯とはガラス内部のナノコロイドサイズの金と銀が特定の光により量子が集団共振を起こし緑や赤に変わる、製法は全くの謎とされる品である)
「それにさわんじゃねえと言っただろ!!」
怒鳴られて御神苗は飛び起きた。
バスローブを着たジャンが部屋に入ってくるなり覆いかぶさってきた。
両手首を強い力で掴まれる。
「……破滅の時を知りてえか?」
ぎりぎりと力をこめられて御神苗は持っていた剣をぽとりと落とした。
「……痛い……」
御神苗が顔をしかめてうったえるとジャンの手がすっと離れた。
ジャンは短剣を取り上げるとベッドに腰掛け、御神苗から背を向けた。
「こいつは、ダメなんだ……これでオレは……もしかするとオマエまで……」
ジャンは小さくため息をついた。
「来るべきじゃなかった」
ふいにジャンの背中にあたたかさが灯る。
「!」
御神苗の右手がそっと当てられている。
「……たぶん……誰かに頼りたい、そんなときも……あるだろ」
御神苗の言葉にジャンが振り向く。
ジャンの震える手から剣を取ると御神苗はサイドテーブルに置いた。
御神苗が軽く両手を広げる。
「……なんだ」
ジャンが訊く。
「何って、抱きしめて欲しかろーと思って」
ほれほれ、と御神苗が招いている。
「……犬じゃねえんだからよ……」
ジャンが御神苗の胸に顔を寄せる。
あたたかくて薄い、少年らしい胸。
回される腕はたくましさにかける、まだ幼いしなやかさが残っている。
(こんな子供にオレは…)
血と泥にまみれて、暗闇を這いずり回り、ただひとつ思い描いたのが御神苗優だった。
狂ったように襲いかかる男、女子供に刃を突き立てて手を伸ばしてしまった。
「やっぱり来るんじゃなかった……」
ジャンのつぶやきに御神苗はむっとしたように唇をとがらせる。
「なんだよっおまえさあ……」
その唇をジャンの唇がふさぐ。
「やめねえからな」
言いながらより深く唇を重ねた。
あの匂いはつねにジャンの鼻腔をくすぐっている。だが不思議なことに支配はされていない。正気だ。正気のまま御神苗優という相手に魅了されていた。
御神苗が身につけているスウェットを剥ぎ取ろうとして止められた。
「ちょ、ちょっとタンマ」
「なんだ」
水をさされたようでジャンは苛立った。
「じ、自分で脱ぐ、から」
御神苗はそういいながらもたもたと脱ぎはじめた。
時間稼ぎなことはなんとなくわかる。
なにをそんなに勿体つけているのかと思いながらぎこちない御神苗の脱衣ショーを眺めた。
上を脱ぐと、チャリ、とネックレスが揺れた。
トップにつけられている樹脂製の小さなプレートの中に聖骸布の切れ端が入っている。
これのおかげでセフィロトの匂いは抑えられてはいるがこんなに近距離で裸になられるとさすがに甘い匂いが部屋中に広がる。
この匂いは抗いがたい力があったが今のジャンには少しうっとおしい。
(御神苗の本当の匂いが嗅ぎたい)
あの爽やかな果実のような青い匂いをもう一度胸いっぱいに吸い込みたかった。
下も脱ぐのかと思いきや御神苗はなんだかもじもじしていつまでも行動に移さない。
「なんなんだいったい」
このままお預けを食らわそうというのか。そうはいかないとジャンはスウェットのパンツにも手をかけた。
「や、やめろよ!」
御神苗がベッドの上で暴れる。
「今更ヤらせないつもりかよ」
一度、性器が壊れるまで犯した前科がある。それを怖がっているのだろうか。
「……そりゃ、無茶苦茶ヤって悪かったと思ってる。今回は大丈夫、なんて自信もねえ。けど」
ジャンの顔面にスウェットのパンツがぶつけられる。
「このガキ!人が真面目に……」
「そうじゃねえよ!」
御神苗は全裸になっている。
少年の骨格をなめらかな肌で覆った姿。
みずからすべてを晒そうというのに両腕で隠し、縮こまっている。
「そういうんじゃなくて……」
御神苗は涙ぐんで目を伏せている。
そこまできてジャンはやっと自分の愚かさに気づいた。
ジャンの大きな手が御神苗の幼い顔に触れる。
「好きだ」
ジャンの言葉に御神苗は触れているジャンの手を握る。
「オマエが好きだ」
守るとか、逃してやるとかそんな言葉の前にまだ一度も言っていなかった
言葉を紡ぐ。
「……うん」
御神苗は小さく頷く。
御神苗の花びらのような小さな唇にジャンはそっと自身の唇を重ねた。
まだ十七歳だ。
雄を誘う身体に作り変えられても本来ならば同い年の少女と優しい恋をして見つめ合うだけの逢瀬を重ねる。
そんな年頃なのだ。
ベッドに横になった御神苗の姿を見つめる。
間接照明がぼうっと少年の肌を照らしている。
「……あんまり見られると恥ずかしいんですけど……」
御神苗はまたもじもじし始める。
「カワイイなオマエ」
ジャンは素直な感想を述べたが御神苗にはなにか気に触ったようだ。
「もうしらねー!」
御神苗は大きなクッションで顔を隠してしまった。
「悪かった。悪かったって」
そのクッションをジャンはゆっくりはずす。
オレンジの光のせいかもしれないが御神苗の顔や耳が赤い。
ジャンはその火照った頬を唇でたどってゆく。柔らかい産毛が触れるのが心地いい。
やがて唇が首へ、その下へとおりてゆく。
「……いつも、こんななのか?……」
狂気に支配されたときとは打って変わったジャンの優しい愛撫に御神苗が訊く。
質問の意味は理解している。
少しからかってやろうかとも思ったが、無垢な少年にそんなジョークは無粋すぎる。
「こんなことオマエにしかしねーよ」
言いながら御神苗の薄い胸板にキスをした。
「……それならいい……」
消え入りそうな声が可哀想だった。
ジャンが今まで抱いてきた女達の事を気にしているのだろう。
時々御神苗はひどく自信なさげなところをみせることがある。
それが何に起因しているのかはなんとなく察してはいるが、あえて訊かないでいた。
どんなに言葉を尽くしてもきっと本当の意味で御神苗には届かないだろう。
ジャンは御神苗の小さな乳首を口に含んだ。
ピクッと御神苗の身体が跳ねる。
乳輪を舌でなぞり、先端を吸い上げる。
「ん、ん……」
耐えるように小さくあえいでいる。
顔をあげると御神苗は自分の手で口をおさえている。
ジャンはその手をつかんで離させた。
「声、ちゃんと聞かせろ」
「え、あっ」
ジャンの舌がぬるぬると胸から臍、下腹へと這い回る。
「待て、あ、待って」
御神苗はジャンの頭を弱々しくつかんだ。
それをジャンは肯定ととって無遠慮に御神苗の、まだ若く生え揃ったばかりの薄い茂みへとおりる。
ペニスは半勃ちになり先端が包皮から顔をのぞかせている。
まじまじと見るのは二度目、いや三度目か。
男の性器など全く興味はなかったが御神苗のモノだと思うと愛おしいと感じる。
切なく震えるさまなど嗜虐心をあおってくるようだ。
ジャンは怯えさせないように口に含むと舌で円を描くようにゆっくり舐めあげる。
「は、あっ……」
御神苗は言いつけを守って口をおさえずにいる。
いい子には褒美をやらなければ。
ジャンは口に含んだまま頭を上下に動かしながら強く吸い上げた。
「ああー!!」
先端から苦い蜜を吹き出しながらあっという間にイッてしまった。
幹に残った精液までじゅるじゅると吸い上げる。
「あっ、いや、あ……」
再び勃ちあがりかけているのになにがいやなのか。
それとも「いや」は「いい」という作法か何かなのか。
望み通りペニスから口を離すと御神苗の腰が切なげに揺れた。
やっぱり、と思うと同時にジャンはもう御神苗の拒絶はきかないことにした。
大和撫子も嫌いではないがやはりセックスは互いに楽しみたい。
一度目は苦しませてしまったことからの罪悪感もある。今度こそは御神苗のすべてを感じたい。
ジャンは薄い茂みをそっとかき分けて、息づく少女の唇に舌を這わせた。
「……あっ」
御神苗が震える。
それは前回からの恐怖であったからかもしれないし、快楽からかもしれない。
しかし溢れ出る少女の蜜をジャンは花びらの奥に舌を突き入れ啜る。
甘い雌の匂いが誘惑し、理性をゆるやかに壊そうとする。
頭の奥がじんと痺れるが不思議と一度目の時のような暴走する感覚ではない。
自分はもう「クリフォト」の呪縛から解き放たれたのであろうか。
「あっ…あっ…」
御神苗の切なげな喘ぎが聞こえる。
甘酸っぱい蜜を存分に味わうとジャンは花から舌をゆっくり引き抜いた。
まだ溢れ出る蜜がとろりと糸を引いた。
「……いいか?」
ひとつになりたいとジャンがたずねる。
御神苗は答えない。身体がまだ小さく震えている。
ジャンは御神苗と同じ目線になると優しく頭をなでた。
「…ダメか?」
懇願するジャンの顔に御神苗は「…ずるい…」とだけ言った。
それを承諾ととってジャンは御神苗のヴァギナにペニスをあてがい、ゆっくりと進めていった。
狭くて熱い。腰がとろけそうに甘い。
「あっ!ジャ…ン!」
喉をひくつかせながら名を呼ばれた。
「痛いか?」
腰を止める。
「ちが…う…なんか…奥が…きゅうってする……」
うまく思いつかず精一杯言おうとして混乱しているようだ。
御神苗の幼さが愛おしい。
「それを感じてるっていうんだよ」
さらに潜り込むと最奥に当たった。
子宮口の弾力ある硬さを先端に感じる。
「あっ!」
それだけで御神苗のペニスから薄い精液がもれる。
「ココがいいのか?」
ジャンは腰を引かずに先端をぐりぐりと押し付けた。
「ああっ!あっ!」
御神苗の狭い肉がさらに締め付けジャンに甘い射精を誘う。
このまま果ててしまうのはもったいない。もっと御神苗の果肉を味わいたい。
ジャンは内部をこねるようにゆっくりと腰を動かした。
ぐちっぐちっと熟れた肉が蜜で濡れた音を出す。
「あっ!あっ!」
動かすたびに御神苗は射精を繰り返した。
御神苗の大きな目から涙が、小さな口からはよだれが、ペニスとヴァギナからはひっきりなしに蜜が滴っている。
自らも腰を動かす御神苗の姿はなんて淫猥で美しいのだろう。
どんな娼婦よりもみだらでどんな聖母像よりも神聖な姿。
ジャンは身体を押し付けるように折り曲げて御神苗の顔を覗き込んだ。
最奥よりも更に奥へ潜り込まれて、御神苗は喉をのけぞらせて声にならない声を上げた。
無垢な少年の顔に覚えたばかりの快楽に沈む少女の表情がうかんでいる。
開かれた口からピンクの舌がのぞいている。
ジャンは御神苗の口を己の口で塞ぐと覗いていた小さな舌を自身の長い舌で追いかけた。
狼に捕らえられる兎のようにあっというまに御神苗の舌はジャンに絡め取られる。
「んむ…ふ……」
満足に息をすることも許されない食われるような口づけ。それなのに御神苗はジャンを掻き抱くように腕を回してくる。
かわいい、愛おしい、壊したい、優しくしたい。
ヒトとケモノ。ふたつのジャンが食い合い、抑え込んでいる。
暴走とは違う。ジャンの生来飼っているケモノが吠えている。
壊さないようにゆっくりと、追い立てるように激しくジャンは腰を動かし始める。
「んっ!うんんんっ!」
絡めたままの御神苗の舌がゼリーのようにぶるぶると震える。
たまらなくかわいい。
このまま食べてしまいたいのをぐっとこらえる。
口を外すと御神苗がやっと大きく息をするが深くえぐられるせいですぐに呼吸は嬌声に変わる。
「あ!ジャ、ン、ああ!」
名前を呼ばれて求められているのがわかると、より興奮した。
濡れた肉が擦れる音と御神苗のあえぎがジャンの耳から脳をしびれさせる。
柔らかくざらついた内部が締め付け、ジャンを無意識に吸い上げる。
限界まで膨れ上がったジャンの欲望が御神苗の最も深いところで吹き上がった。
「ああ!あー!」
熱いほとばしりに御神苗の内部が溶かされ、激しい喜びに御神苗は絶頂した。
まだ固いペニスを抜かないまま御神苗の最奥をこね、子種を胎内へと促す。
「やっあっ…ジャン…あ…」
番にされてゆく感覚に御神苗は身をよじる。
雄としてのプライドがゆっくり壊され雌としてつくりかえられてゆく。
恐怖と歓喜が御神苗を何度も射精に導いた。
腹のあたりで精を吐き出し続ける御神苗のペニスを愛おしく感じながら、ジャンは御神苗の涙をなめ、そのまま耳元で囁いた。
「愛してる、優」
「ジャン……俺もぉ…ジャン…」
快楽の渦にのまれている最中の御神苗にどこまで伝わっているのかわからないが、今このときだけは確かに重なり合っている。
再び腰を動かす前にジャンは御神苗に口づけた。

夢を見た。
夢ではない夢。正確には誰かの記憶だということはわかる。
記憶の中で重なった自分は黄金色をしていた。
黄金の肌、黄金の産毛、黄金の長い髪。
クリフォトの民という名で創られた超古代文明の技術によるクローン体の一人。
超古代文明を築いた人々の技術の実験体として、時には戦争の駒として、量産されていた。
その一人の中にジャンはいた。
今、ジャンが入っている「私」は何の苦しみもおそれも怒りもなかった。
私たちにとって超古代文明人であるところの創造主に使われ死ぬことは、この上ない名誉であり、役に立つことが喜びであった。
私がお使えしている主は星のない夜空のような艶やかな黒髪と、調度品のひとつにあった蒼玉のごとき深い青の瞳を持っていた。
主は気まぐれに私に弦楽器を奏でて聴かせる。
働くことと戦いしか知らぬ私にはその素晴らしさが半分も理解できなかったが、主のそのすんなりとした指が弦を弾くさまはとても美しかった。
クリフォトの民は皆、瞳まで黄金色だが私はなんのエラーか両目が青かった。
主が私を時々招くのもそのせいではないかと思われたがそれでも選ばれたことがなにより嬉しかった。
「近々、わたしたちは『セフィロト』の実験をする。完成すればわたしたちは永遠の生命が手に入る」
主の表情は曇っていた。
「なぜそのように苦しんでいらっしゃるのです」
無知な私にはその原因がわからない。
「我らが創造主、あなたがたが、あなたが神に近づくというのに」
あまりにも私の発言が愚かだったからであろうか、主はため息をつくと私を主の腰掛けている長椅子のとなりへと呼んだ。
「誰も、神になってはならないのだ。わかるか、わたしたちには永遠の生命などまだ早い。いや、争いを捨てられないわたしたちに神の領域などそもそもふさわしくないのかもしれない」
主は私の頬を優しくなでた。
それだけで私の胸は高鳴る。
「あなたはすでに私の創造主です。創造主が神の域に達したとしてなんの問題がありましょう」
主が私の言葉に深い蒼い瞳の色を更に深く沈ませた。
「……おまえにも……おまえたちにもわたしたちは償わなければならないと思っている」
私には主のお考えがなにひとつ理解できない。
私はなにか気に触ることでもしてしまったのであろうか。
私は椅子から立ち上がると地面にひれ伏し、主のつま先に接吻した。
「お許しを、どうか我が主。私はあなたに捨てられたら心が裂けてしまいます」
私はいつの間にか涙を流していた。
「……おまえは本来自由であるべきなのだよ。おまえは何者にも縛られず生きていいのだ」
主はやはり私を捨てるつもりなのであろうか。
「なにかお気に触ったのなら謝ります。あなたは私のすべてなのです。どうか、どうか……」
私は接吻を繰り返した。
「……頭をあげよ」
主の命令に私はおそるおそる顔を上げた。
「これからわたしはおまえに、おまえたちに命令しなければならない。それはとても過酷で残酷だ。戦場にゆかせるよりもひどいかもしれない。……その時がきたら……わたしを恨んでいい。それでも信じてほしい。わたしがおまえの幸せを願っていたことを」
主は悲しい、とても悲しい笑顔を浮かべていた。
私にはその苦しみを癒やしてさしあげるすべを持たなかった。
私には主の言葉の本当の意味すら理解できなかったのだ。

「ウーフニックが死んだそうだ」
食事中に誰かが言った。
私たちはクローンだ。個体差はほとんどない。だがその個体は松葉杖なしには歩けなかったのでウーフニックと呼ばれていた。
彼の主は名医だった。新しい施術を発見してはウーフニックに施していた。
ウーフニックも元々は我々と変わらず堂々たる両足で歩いていた。
だが彼の主が彼に故意に病巣を移植して経過を見たり、強い放射線にあてて皮膚の崩れるさまを観察したり、健全な臓器を切り取ったりしているうちにウーフニックはウーフニックたる姿に様変わりしていった。
話している途中で噂の名医がやってきた。新しい者をひとり選ばないかと紹介されてきたのだ。
名医は小さな箱(おそらく灰になったウーフニックであろう)を大事そうに抱え、しきりに首を横に振っていた。
名医の目はどれだけ涙を流したのであろう、まぶたが腫れ上がっていた。
そこにいたクリフォトの民たちはどれほどウーフニックをうらやましいと思ったことだろう。
ウーフニックは己が主に尽くし、己が主の愛に死んだのだ。
私もそれほどの愛を浴びて死ねるならどんなに幸せか。
私はあの晩を境に主に呼ばれなくなってしまっていた。
私は一体どんなミスをおかしてしまったのだろう。
私以外に呼ばれたものは一人、また一人と消えてゆき、戻ってはこなかった。呼ばれた先で死を伴う犠牲となろうとも私は主の役に立ちたかった。
私は寝所で横になると人知れず悔しさに泣いた。
しかしまもなくその時は訪れた。

呼ばれた部屋はドーム状に開かれた神殿だった。
高い天井から床にかけて黄金に輝く線で大樹のようなものが描かれていた。
壁にはぐるりと繭のような物が並び、中には乾涸びたクリフォトの民たちが入っていた。
私もあの中に入り、お役に立てるのだろうか。
私は考えるだけで高揚してくるのを感じた
だが、私に与えられた使命は残酷なものだった。

白い聖衣を着た主がわたしにこう告げた。
「わたしというくびきから解き放たれ、自由に生きよ」と。
主たちの実験は終了していた。
この地上、いやこの宇宙ですら永遠の生命を得るのは難しいという結論に達した主たちは私たちクリフォトの民を置いて、もう一段階上の次元へと飛び立つことに決めたのだ。
そして私たちクリフォトの民は地上に残り、主たちの遺産を悪用されぬよう守り続けてほしいと頼んできた。
私は泣き叫んだ。なんでもします、だからずっとお側に仕えさせてほしい、連れて行ってほしいと。
主は静かに言った。
「おまえたちの穢れは高き次元へゆく妨げとなる」
私は目を見開いた。
私の愛は穢れだと。主は私の愛はいらぬと言ったのだ。

そこから先はよく覚えていない。
手にした青い刀身の短剣、血まみれの聖堂。主たち高貴なるものの躯。
黄金の大樹は私の大罪を吸い上げ、闇よりも黒く染まっていた。
私は主の冷たくなった唇に自分の唇を重ねた。
「……今、私もお側に……」
私は短剣を自身に向けると一息に胸へと突き立てた。

「!!」
架空の痛みにジャンは飛び起きた。
見回すとそこは昨日御神苗と愛し合った部屋だった。
サイドテーブルには夢に出てきたあの短剣が置いてある。
そして小さなメモが。
「学校に行ってくる」という御神苗の字が綴ってあった。
ジャンの胸がまだどきどきと鼓動を早鐘のように鳴らしていた。
夢であったが確かにジャンは体験していた。
そしてうっすらとだが感づいていた。
黄金の民の副産物がライカンスロープであるということが。

授業が終わり、御神苗は下駄箱のシューズを履き替える。
かがむと少し違和感があり、昨日のことを思い出して一人であわてていた。
集中下足室を通り抜けようとしてなんとなく人が多いことに気がついた。
特に女生徒が多い。
ちょっと困ったが早く帰らないとジャンが心配だったので、なるべく触れないように間をすり抜けていくとそこには注目の中心人物が小さな革のバッグを揺らしながら気だるげに立っていた。
薄いニットにスラックス、適当なスニーカーを履いたくそ長い金髪の男。
長い脚にこのご尊顔である。目立たない訳がない。
「なにやってんだよ!」
御神苗が詰め寄る。
「迎えに来た」
「来なくていい!俺の日常を壊すな!」
悪気のなさそうなジャンにキレ気味に釘を刺す。
「ねえねえ、御神苗くん、その人お友達?」
きっかけをつかもうとよってくる女生徒達。平穏な日常のバランスが崩れる音がする。これだからいやなのだ。
「ウイ、あなたたちはいいですね」
ジャンがにこりと笑う。
おそらく(アタマもシリもかるくていいね!)という意味なのだが通じていないようで女生徒達は顔を赤らめた。
これ以上なにか言う前にどうにかせねばと御神苗はジャンを駐車場まで引っ張ってゆくと予備のヘルメットを投げつけた。
「これキツイんだよ」
ジャンは文句を言いながらかぶる。
「あのなあ!外に出て、昨日の今日でなにかあったらどうすんだよ!例のアレは?!」
「ここにある」
ジャンはバッグを揺らした。
「なんで持ってくんだよ!そもそも部屋から出るな!」
自身もヘルメットをかぶった頭でジャンの頭にぶつける。
「……」
ジャンが何か言おうとして黙った。
気づいて、御神苗は目をそらした。
「ひとりにして悪かったよ」

御神苗とジャンはバイクでそのまま都内にある岸和田診療所に向かった。
そこは表向きは古びた診療所であるが裏ではアーカムの研究施設の一部となっている。
というより、ここの医院長が個人で研究を進めていたものがアーカムの目に止まり、予算を出資してくれるならという条件でアーカムに在籍している、元々は医院長の極まった超個人的オカルト研究所なのである。
裏口から医院長は御神苗とジャンをあたたかく迎え入れてくれた。
なにしろ御神苗がここにくるときはアーカムにオフレコで遺物を持ち込むことがほとんどだからだ。
今回はフランス人まるごと一人と正体不明の短剣一つということで医院長は飛び上がらんばかりに喜んだ。
まだアーカムが一切手をつけていないものを一番に調べられるのだ。
悲しいことにこういった小さな施設はアーカムの補助的役割か、先に発見しても全てアーカムに取り上げられてしまう。
金銭面で従ってはいるが納得はしていない昔ながらの研究者も少なくない。

ジャンが特殊な機械でスキャニングされている間、医院長は御神苗にコーヒーを持ってきた。
「ジャン君、だったかな、彼が話してくれた内容はおそらくルシファーの記憶、だね」
「ルシファー?堕天使の?」
コーヒーには手を付けずに御神苗は訊き返した。
「そうとも。黄金の民という天使が自ら忠誠を誓った主、いうならば『神』だね。それを殺してしまう。まさに創世の神話さ」
医院長は持ってきた剣を持つと刀身を眺めた。
「……それは触らないほうが!」
御神苗は慌てる。
医院長は興味を失ったように剣をテーブルへと置いた。
「大丈夫、これはすでにデータを移し替えられた媒体みたいなもんさ。調べたが光輝は残っていなかった。光輝というフォルダは全てジャン君の身体にダウンロードされてしまっているのさ。その光輝はどうやら汚染されているみたいだがね」
「汚染て!大丈夫なのかよ?!」
立ち上がった御神苗をまあまあとおさえ、医院長は続けた。
「先日、とあるスプリガンが調査に向かったまま行方がわからなくなったと報告があってね。遺跡調査の護衛だったんだが、その遺跡の遺物というのが汚染された光輝に侵されたセフィロトの種だったらしく、一帯は正気を失った人々で殺し合いさ。種の回収と汚染除去でてんてこまいで確認が遅れたが一人死体がみつからない。周り一面敵だらけだったのなら大変だったろうなあ。まあそういう小耳に挟んだ話さ。もし、そのスプリガンが生き残ったと言うなら彼はもうルシファーの継承者だろうからね。汚染された光輝の中では元々汚染されていた者しか正常ではいられない。そして残りのダウンロードはおこなわれてしまった。完全なるルシファーの完成さ」
医院長はコーヒーを飲んだ。
「いやあ、我ながらこのコーヒーまずいね。さて光輝だが、一体どこからやってきていると思う?」
「……やってきて……?付着しているものじゃなくて?」
「それはアーカムの見解。私はね、十一次元の彼方からやってきているとふんでいるんだ。次元を超えるたびそれは少なくなっていき、こちらまでたどり着くのはごく僅かだけどね。では光輝とはなにか。それがジャン君の話の中にヒントがある。コーヒー新しく入れようか?」
医院長は御神苗の冷めきったコーヒーを顎でくいっと示した。
「ヒントって?」
まずいコーヒーは後回しにしてほしい。
「思い出してほしい。『もう一段階上の次元へと飛び立つことに決めた』という言葉を。『もう一次元上』ではなく『もう一段階上』なんだよ。次元は安定するには十一次元必要だという。光輝は十一次元へとたどり着いた超古代文明人からのメッセージなんだ」
「……さすがに飛躍しすぎじゃねーかな……」
医院長の言葉に御神苗も少し引いてしまった。赤いダイナミックなフォントの雑誌のタイトルが思い出される。
「世界のオーパーツには宇宙飛行士だとも飛行機だとも言われるものが度々出土する。あれは宇宙ではなく次元を超える装置だとしたら?」
医院長がニヤリと笑った。
「でもジャンの話じゃ装置にかかわった者は皆殺しに……」
「装置の一つがなくなっただけでは?ルシファーの主の装置が無効化しても第二、第三の、いやもっと多いかもしれない。……そうか、セフィロトは次元を行き来するワームホールのようなものかもしれない。そして我々が安易に使えないようクリフォトの民の生き残りが塞いでしまった。主人達の命令どおりにね。ではきみは、御神苗君、きみという果実の役割は……」

ビーッ
スキャニング終了のアラームが鳴った。
全裸のジャンがポッドから出てくる。
医院長がモニタのデータを見てつぶやいた。
「……やはり彼の内部にこれだけの汚染された光輝が封じ込められているのか?そうとしか思えん……」
「じーさんもういいのか?」
ジャンは勝手に服を着るとスキャニングルームから出てきた。
「よくきみは生きてるな!」
「どういうイミだよ!」
医院長とジャンが互いに声を荒らげた。
「ジャン君、きみの内部には汚染された光輝が胸部を中心におそろしく大量に渦巻いている。一つの縮小された銀河に等しい構造だ。きみという殻があるから我々は……そうだな、ある種被爆のようなことにならずにすんでいる。だがなぜきみは生きている。謎だ。まったくの謎だ。…それが『ルシファーの継承』ということなのか?」
「このじーさんアタマ大丈夫か?」
ジャンは人差し指を自分の頭にむけてくるくると回した。
御神苗がジャンの頭を叩く。
「いってえな!」
「おまえが失礼なこと言うからだろ!」
にらみ合うジャンと御神苗の二人の手が医院長にガシッと握られた。
「ありがとう!きみたち二人によって再び創世の時代がはじまるのだ!」
医院長の言葉にジャンはため息をついた。
「やっぱアブネーじじいじゃねえか」
ジャンの言葉にさすがに御神苗も苦笑する。
「わかるかね二人とも!」
医院長が天を仰ぎ両手を広げる。
「御神苗君という完成された果実、両性具有者は超古代文明人への回帰の証!それだけでセフィロトという天上へのルートは開かれるのかと思っていた!それはまったくの間違いだったのだ!」
ぽかんとしているジャンと御神苗を全力で振り落とし、なおも医院長は続ける。
「セフィロトを天上、神への階段として造りながら神はあるかんじょとじゅすへるに燃える剣を渡して人間の侵入を拒んだ。それは人間が神になることをおそれたのではない。通るべき人間を選定させ、神、超古代文明人と選ばれた人間とが結びつき新たな世代を創造する時期を待っていたのだ!」
再び医院長はジャンと御神苗の手を取る。
「おめでとう!きみたちは超古代文明人を超えた存在を生む新たなる礎となるのだ!」
意味がわからない。御神苗はおそるおそる医院長に問う。
「イシズエって……?」
御神苗の問いに逆に医院長が驚く。
「なにをいってるんだい。隠さなくともわかる。きみたちは結ばれているんだろう?あとはきみが我々の代表たる子供を産むだけさ。来たるべき時にそなえてね」

一晩泊まるために案内されたのは診療所にしては広い個室だった。
鍵はかからないがシャワールームやトイレもある。
「……ベッドはひとつか……」
先にシャワーを浴びた御神苗は入院着を着てベッドに腰掛けた。
「子供でもこさえろってんだろ」
少しイラついたようにジャンは折りたたまれた付き添い用の簡易ベッドを広げると背中を向けて横になってしまった。
「……俺は医院長の言ってることを全部否定はできねえよ」
御神苗は広い背中に呼びかける。
「御神苗、おまえ、聖書を読んだことは?」
ジャンはこちらを向かずに質問で返した。
「……あるけど」
御神苗の答えにジャンは起き上がる。
「ならわかるだろ!あの夢は!あのルシファーはうそつきだ!あのじーさんはヤツの言葉に惑わされてるだけだ!」
「ルシファーはうそつきじゃない。試してるだけだろ」
「その『試す』ことがそもそも大罪なんだよ!」
強い聖母信仰で育ったジャンには御神苗の返答は火に油を注ぐようなものだ。燃えるようなジャンの瞳が御神苗を見つめた。
御神苗は怯むことなく答える。
「ルシファーは嘘も言う。だけど真実も言う。ジャン、おまえの夢に具体的な『ウーフニック』という名が出てきただろ。ウーフニックはつねに三十六人いてそのウーフニックの裁定で神は人類を滅ぼさない。ウーフニックはウーフニックであるということは気づかず守っている。一人のウーフニックが死ねばどこからかウーフニックが補充される。裁定者はジャン、おまえ。あるいはルシファーの候補者たち。そして具体的な数字三十六。これの意味は……」
「……意味は……」
ジャンの喉がごくりと鳴った。
「わっかんねえよ、俺にも」
御神苗はまさにお手上げというように両手を上げた。
「おーまーえー……」
ジャンがベッドからおりて立ち上がると御神苗の隣にどかっと座る。
「……オレはいつだってこのゲームからおまえをかかえて逃げるつもりでいるぜ」
ジャンの両手が御神苗の小さな顔を包んだ。
「そんなことできな」
いつも自己犠牲の言葉を紡ぐ御神苗の唇をジャンは自分の口でふさぐ。
「……ジャ…ン……ッ」
熱っぽく口づけを続けようとするジャンから御神苗はなんとか顔を背ける。
「オレよりこのイカレたゲームが大事か」
少し悲しげな低い声。
「……そうだよ。それを承知でおまえにもつきあってほしいんだ」
御神苗の大きな目が再びジャンをうつす。
御神苗の瞳の中の情けない自分にジャンは苦笑した。
「で、どうしてほしいんだよ、お姫様」

岸和田医院長は大きな世界地図を広げた。
枯れ木のような指がひとつひとつ確かめるように指し示す。
「今現在アーカムの調査から予想される次の生命の樹の出現地はギリシアのヘスペリデスの園、アイルランドのティル・ナ・ノーグ。そしてもっとも有力な候補地は、グラストンベリーのアヴァロン」
「グラストンベリー!?アーカム本部のお膝元じゃねえか!!そんなのとっ捕まえてくれっていってるようなモンだろ!」
おもわずジャンがさえぎる。
医院長はにんまりと笑った。
「私たちがただアーカムの飼い犬で収まっていると思うかね。日々積み上げ、提供した研究データの数々はこういうときのためのカードになるんだよ」
医院長が英国の一点をピンで刺した。
「アヴァロン」、生命の果実とも謳われた林檎の島という意味の地。
「きみたちもよく知る女性、マーリンの弟子と老人にも話はつけてある。あとはきみたちだ」
医院長が二人を見る。
「生命の樹が芽吹けばきみたち自身がどうなるのかという保証はできない。……どうか我々を許してほしい」
医院長が深々と頭を下げた。
御神苗が医院長の背中を叩いた。
「やめてくれよ。そーゆーの。俺たちはもう覚悟完了してんだぜ?」
医院長が顔をあげると二人の選ばれし若者が微笑んでいる。
(この二人が選ばれて本当によかった)
岸和田医院長は心からそう思った。

アーカムの輸送ヘリに乗って御神苗とジャンはグラストンベリーを目指した。
アヴァロンにはおそらく大量の光輝が溢れ出ているに違いない。
岸和田医院長は世紀の瞬間を見れないことを悔しがっていたが二人以外に入ることは許されない。選ばれし者のみの聖域なのだ。
医院長は残念そうに見送った。
「そろそろアヴァロン遺跡の上空です」
操縦士の声。
そこは小高い丘を中心に何本もの天使の柱が降り注いでいた。これがすべて天空からの光輝であるならすごい量だ。これまで見つかった光輝をあわせてもここまでの量にかなうだろうか。
操縦士の安全のため少し離れた中心部付近で二人をおろすと、ヘリは戻ってゆく。
一歩ずつ二人は一番大きな光の柱へと向かっていった。
丘の一番高いところへジャンがまず上がる。
手を伸ばして御神苗をとなりに上げた。
天を見上げる。
厚い雲の間から巨大な片目が覗いている。正確には、雲を、空を光輝が焼いて金赤色に縁取るように穴を開けている。中心には、青い、次元と次元をつなぐ穴のようなもの。
夜空のように、底なし沼のように暗いのかと思っていたが、それは透き通り、澄み切った青色をしていた。
ジャンが夢で見た超古代文明人の瞳を思わせた。
そういえば彼はどことなく御神苗に似ていたのはルシファーと自分が単にリンクしていただけなのであろうか。
それとも……。
「こんなに酷い望郷ははじめてだ……」
見上げたままジャンは思わずつぶやいた。この思いはもちろんフランスへの思いではない。
「あそこには本当の故郷があるんだ」
御神苗はそんなジャンの横顔を見つめた。
「帰りたい?」
問いかけにジャンは御神苗を見る。
「どうかな。おまえがいるならそれもいいかもな」
少し間をおいて二人はふふっと笑った。
今から世界がどうなるのかという裁定がおこなわれるというのにとてもおだやかな気持ちだった。
本当に裁定がおこなわれるのであろうか。
今、二人は同じ夢を見ていて明日になればまた戦いの只中に置かれるのではないだろうか。それならばもう少しこの夢を見ていたい。
「……ジャン……」
御神苗が呼ぶ。
「熱い……」
見れば御神苗の体が、下腹部を中心にゆるやかに脈打つように光っていた。
御神苗は新しい意思が体の中に生まれているのを感じとっていた。
ジャンもすぐに理解した。
「……名前……つけてやってなかったな……」
天空の瞳が大きく開いた。
光輝はさらに二人を包む。
二人は互いを感じられなくならないよう、しっかりと抱き合った。
溶けてゆくようなあたたかさ。
それが天からもたらされた光のせいなのか互いの体温なのかはもう二人にはわからなかった。

アヴァロンからかなり離れた観測所でティアは輝く大樹が葉むらを広げるのを感じ取っていた。
これは聖剣の王を看取った老人からの口伝以上の事態であった。
だがそこには誰も近づけない。
下手に近づけば光輝を汚し、おのれを呪われた物体にしてしまうだろう。

だれも見ることのできない奇跡。
二人はどうなったか。
結論から言って二人は成功した。
超古代文明人の祝福を受け、黄金の民の呪いを反転させ、生命の樹を芽吹かせた。
なぜ成功したと断言できるか?
誰も見ることができないのに?
それはわたしがきみたちのいうところのルシファーであるからだ。
わたしは嘘も言うが真実も言う。
気になるというのならきみ自身が確かめてくるといい。
この小説にすべての文章に文字ひとつひとつにわずかながら光輝を潜ませておいた。
この文字列のデータを読み終わるとき、きみはひとつのおおきな光輝を魂にダウンロードされている。
それが無事におこなわれたか、欠けてしまっているか、はたまたきみという魂にふれたことで汚染されたかまでは責任は取れない。
おそろしいというのならここでやめてもいい。
読むのをやめ、すぐさまブラウザを閉じ履歴を消せ。
だが二人の結末が知りたいというのなら最後の一文字まで読み終わり、ログアウトし、一度深呼吸をするといい。
きみには必ずふたりの行く末がみえるはずだ。

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